トヨタ帝国の崩壊序曲 ーータイ自動車市場でBYDが仕掛ける「電撃戦」【林直人】

第2章
パネルデータセットの構築と記述的分析
本分析の信頼性は、その土台となるデータセットの質によって決定される。
この章では、BYDの販売拡大がトヨタの販売に与える影響を定量的に評価するために構築した、独自の月次パネルデータセットについて詳述する。
データソースの選定、変数の定義、そして構築プロセスを透明性をもって示し、データが描き出す市場の動向を記述的統計と可視化によって概観する。
2-1 データソースと変数定義
本分析では、2022年1月から2024年6月までの月次データを収集し、パネルデータセットを構築した。使用した変数は以下の通りである。
【被説明変数(Dependent Variable)】
・Toyota_Sales: トヨタのタイ国内における月次販売台数(単位:台)。本分析の中心的な対象となる。
【主要な説明変数(Key Independent Variable)】
・BYD_Sales: BYDのタイ国内における月次販売台数(単位:台)。トヨタの販売台数に対する競争圧力を示す主要な変数。
【制御変数(Control Variables)】
競合他社の販売台数:
・Isuzu_Sales: いすゞの月次販売台数。特に商用車市場における主要な競合。
・Honda_Sales: ホンダの月次販売台数。乗用車市場における主要な競合。
これらを含めることで、トヨタ対BYDという二社間だけでなく、市場全体の競争構造の変化を考慮に入れる。
【マクロ経済指標】
・GDP_Growth_QoQ: タイの四半期実質GDP成長率(前期比、%)。タイ国家経済社会開発評議会(NESDC)および世界銀行の公表データに基づく 26。経済全体の健全性を示す指標。四半期データは、該当する3ヶ月間に適用した。
・CPI_YoY: タイの消費者物価指数(前年同月比、%)。タイ商業省取引政策戦略事務局(TPSO)および国際機関のデータに基づく 30。インフレと消費者の購買力の変化を捉える。
・Policy_Rate: タイ中央銀行(BOT)の政策金利(%) 32。自動車ローンの金利や融資の厳格化に影響を与える代理変数として用いる。
【政策変数】
・EV_Subsidy_Dummy: EV補助金政策の有無を示すダミー変数。EV 3.0/3.5政策が有効であった月(2022年2月以降)を1、それ以前を0とした 11。この変数は、政策自体が市場に与えた構造的変化の影響を、BYDの販売台数の影響とは独立して捉えるために不可欠である。
2-2 データ構築プロセス
データセットの構築にあたり、複数の情報源を統合・整理した。主要な自動車ブランドの月次販売台数は、タイ工業連盟(FTI)やトヨタ・モーター・タイランド(TMT)が発表する公式データを基に、MarkLinesやFocus2moveといった業界データプロバイダーがまとめたレポートから収集した 5。
特に、市場参入初期のBYDの月次販売データは公式な時系列データとして一貫して公表されていなかったため、複数のニュース記事、EV専門メディアの報道、業界レポートを相互に照合し、データの信頼性を確保するプロセスを経た 2。データの欠損や不整合が見られる箇所については、複数の情報源から最も信頼性が高いと判断される数値を採用し、データクリーニングを行った。
マクロ経済指標については、各公的機関から公表されている時系列データを月次販売データと時点を合わせて統合した。この透明性の高いデータ構築プロセスが、本分析の再現性と信頼性を担保している。
表1:タイ主要自動車ブランドの月次販売台数パネルデータ(抜粋、2022年1月 – 2024年6月)
Date |
Toyota_Sales |
BYD_Sales |
Isuzu_Sales |
Honda_Sales |
Total_Market_Sales |
2022-01 |
20,064 |
0 |
15,620 |
8,913 |
69,455 |
… |
… |
… |
… |
… |
… |
2023-01 |
22,961 |
1,040 |
14,979 |
9,936 |
65,579 |
2023-06 |
20,877 |
1,892 |
12,515 |
7,066 |
64,440 |
2023-12 |
21,337 |
5,453 |
9,010 |
7,557 |
68,322 |
2024-01 |
17,900 |
1,466 |
8,245 |
8,012 |
54,814 |
2024-06 |
18,542 |
2,800 |
7,077 |
6,125 |
47,662 |
注:BYDの販売台数は2022年11月に開始。
出典:FTI, TMT, MarkLines, Focus2move等の公表データに基づき筆者作成 3。
表2:分析に使用するマクロ経済・政策指標(抜粋、2022年1月 – 2024年6月)
Date |
GDP_Growth_QoQ_Applied (%) |
CPI_YoY (%) |
Policy_Rate (%) |
EV_Subsidy_Dummy |
2022-01 |
1.1 |
3.23 |
0.50 |
0 |
2022-02 |
1.1 |
5.28 |
0.50 |
1 |
2022-03 |
1.1 |
5.73 |
0.50 |
1 |
… |
… |
… |
… |
… |
2023-01 |
1.5 |
5.02 |
1.25 |
1 |
… |
… |
… |
… |
… |
2024-01 |
1.9 |
-1.11 |
2.50 |
1 |
2024-06 |
1.6 |
0.62 |
2.50 |
1 |
出典:NESDC, TPSO, BOT, World Bank等の公表データに基づき筆者作成 26。